Staff interview
#05
01. 担当者プロフィール
担当者プロフィール
- お名前:深尾元伸 / Motonobu Fukao
- 組織名:小中高プロダクト開発部
- 入社時期:2018年 12月
02. 飲食業から一転、Quipperで長年の夢を叶えたエンジニア
いつかは海外で働いてみたい。海外で自分を試してみたい。
社内制度を利用し、そうした自らの夢を現実にしたエンジニアがいます。
日本企業に籍を置き、エンジニア職でありながら海外で働くとはどういうことなのか。実際に海外勤務を経験したエンジニア深尾に話を聞きました。
03. どうしてもエンジニアになりたい
深尾:高校を卒業してから26歳でエンジニアに転身するまでは、ずっと飲食業で働いていました。子どもの頃からパソコンに触れていて、プログラマーに興味はあったものの、90年代に、生まれ育った岐阜県でエンジニア職に就くには、まだまだ現実的ではなかったんです。時代と、地域性からみて、珍しかったんですね(笑)。とは言え、とにかく早く働き始めたかったので、「とりあえず大学に行く」程度の気持ちで、学生時代ずっと働いていた飲食業に就きました。
それでもエンジニアへの想いは捨てきれません。未経験でも応募できるエンジニアの求人を見つけたのをきっかけに、深尾は思い切って名古屋の企業に 就職します。
深尾:まずはWindowsの業務アプリからつくり始め、3年ほど経験を積んでから、すぐに独立しました。もともと独立願望が強く、20代のうちにフリーランスになりたいと思っていたんです。フリー期間は、さまざまな業務に携わりました。短いものだと1週間、長いものだと1年以上。その後、再び転機が訪れたのは、35歳で上京した時のことです。
名古屋よりも、東京には仕事が多いだろうと思ったのがきっかけでした。それまでの、toB向け案件を多く開発するフリーランスから一転、東京ではtoC向けのベンチャー企業であり、レシピ動画サービス「kurashiru」を展開するdely株式会社に、正社員のSREとして入社することになります。
深尾:その頃には、それなりに色々な経験を積んでいたので、業務形態よりもやりたい仕事や、今後成長する可能性のあるスタートアップで働きたい、という想いが生まれていました。当時は、僕を含めてエンジニアは4人だけで、まさにこれからサービスがスケールするぞ、というタイミング。それから一気に市民権を得るまでの流れを、中から見ていたので、自分にとっての刺激にもなりましたし、なにより、自分自身への自信にも繋がりました。
04. 海外で働く夢を叶えるキャリアアップ
いずれは海外で働きたい。かねてから抱いていた、もうひとつの夢への気持ちが強まり、深尾は東京に来て2度目の転職を決意。Quipperにジョインします。
深尾:30歳くらいで英語を本格的に勉強し始めたときから、いつかは海外で働きたいと思っていました。delyに入社した理由のひとつでもあったんですが、実際に入社してみると、実現までには時間がかかることがわかったんです。一方、Quipperは、もともとグローバル展開をしていますし、開発チームもボーダレスに構成され、エンジニアとして海外で働ける、日本国内では数少ない会社。こんなチャンスはなかなかないと思い切って飛び込みました。
Quipperへの転職を決めた理由は他にもあります。深尾の個人的な興味と、Quipperの事業内容に重なる部分があったのです。
深尾:英語を勉強し始めたとき、4ヶ 月ほどフィリピンに語学留学しました。その間に、貧しい子どもたちに文房具や服などを配るイベントの開催や、語学学校で他の生徒と、「ゴミ山に住んでいる子どもたちの環境をどう改善するのか」という議論をする機会にも恵まれたんです。そのときに痛感したのは、その場しのぎで必要なものを与えたり、ゴミを減らすなど、目先の問題を対処にしても、根本的な改善にはならないということ。結局、その国の人や子どもたちの教育水準を上げていかないと意味がない。そうした実体験があったからこそ、国や地域を問わずに高水準の教育を届けるQuipperの事業モデルに、とても共感したんです。
05. 国内技術者の視野を広げる、グローバル視点からの働き方
入社後は、1年のうち3ヶ月間、任意の海外拠点で働けるフリーロケーション制度を利用し、早速フィリピンの開発拠点で働き始めます。
深尾:申請すれば基本的には許可が出る、非常に利用しやすい制度です。一緒に開発していたメンバーがフィリピンにいたため、これまでオンライン上でのやりとりしかできなかったメンバーと、対面でコミュニケーションできるようになったのは非常に有意義でしたし、メリットも大きかったです。フィリピンでの仕事も、日本でのタスクと全く変わらなかったので、リモートワークの延長線上かのように、あまりギャップを感じることなく働くことができました。
一方で、海外に出たことで、次なる自分の課題が見えてきました。
深尾:振り返ると、フィリピンに滞在していた3週間で、海外勤務ならで はのバリューを出せなかったという反省が残ります。やはり、英語がボトルネックでした。SREとしての技術は着実に積み上げてきたので、あとは、英語や海外でのビジネススキルを身につければ、自分ならではの仕事がしやすくなると思います。Quipperのフリーロケーション制度は毎年チャンスがあるので、何度も行きながら、しっかりバリューを出せるよう努力します。
こうしたQuipperでの仕事環境は、将来、海外で長期的に働く展望のあるエンジニアにとってはうってつけです。
深尾:将来的には、外資企業や現地採用で働いてみたいけれど、現時点ではそこまでの英語力や営業力がない。そういったエンジニアにとって、Quipperは最適なキャリアパスじゃないかなと。僕自身、Quipperに入社したからこそ、海外で働く夢を叶えるショートカットができたと思います。学生の頃は、全然英語を勉強していませんでしたし、英語を勉強し始めたときも、将来の自分は英語を話せればいいくらいに漠然としか思ってなかったですから。
深尾は、日本のエンジニアが海外で働くことは、他の日本で働くエンジニアや会社にとってもメリットとなると考えています。
深尾:最近あらためて感じるのは、日本の開発環境にはいろいろと課題が多いということ。「デスマーチ」という言葉があったり、うつ病になるエンジニアが多かったり。フリーランス、会社員問わずさまざまな企業と働いたことがある、自分の経験からすると、そういった不健全な状態で開発するからこそ、8割くらいの案件は上手くいっていないように思います。エンジニアの働く環境を改善するには、まず、心理的安全性を確保することが大切です。フィリピンで働いたとき、チームメンバーは誰でもフラットに意見を述べていました。プレイヤーであっても、プロジェクトマネジャーに対して何の遠慮もなく自分の意見をぶつけられるんです。日本じゃこうはいかないですから。
深尾:海外では、社内のカルチャーや人間関係などの根本部分から違っていたので、すごく勉強になりました。日本の行き詰まっている開発現場は、こうした海外のチームを目の当たりにすることによって、チームの雰囲気や人間関係も、がらっと変わる可能性があると思うんです。手前味噌ですが、Quipperは、日本には何社も無いであろう、数少ない、居心地の良い会社だと断言できます。これは、僕自身がいくらお金を積まれても、風通しの悪い会社には絶対行きたくないと思っていたので、自信を持って言えることです。それでも、もちろん、今後もっと良い開発環境になる可能性があるわけで、そうした変化を推進するのに、エンジニア自身が海外で働く機会を持つことは大いに役立つだろうと実感しています。
経済協力開発聞く(OECD)によると、2018年発表の、日本の労働生産性は加盟国35ヶ国中20位、先進国中最下位。データを取り始めてからの過去37年間、日本は、連続最下位を記録し続けています。先進国でありながら、労働体制は前時代的。そうした現状を打破する鍵を握るのが、海外の現地チームと働くことにあるのかもしれません。日本での働き方に風穴を。Quipperは、その牽引役になりうる、「働き方改革」の寵児とも言えます。